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Almost Angels 青きドナウ

アメリカ映画 (1962)

10年も前の記事だが、朝日新聞に『「天使の歌声」にも時代の波 厳しさに不人気、志望者激減』という記事があった(2010.2.12)。それによれば、「入団希望者がピークだった1950-60年代には約30人の募集枠に500人以上が殺到した〔競争率16倍〕」とある。この映画では、1960年に2人の補充に8人が募集している〔競争率4倍〕。そして、「しかし、希望者は減り続け、競争率は最近では2-3倍に落ちている」とある。現在の数値を調べることはできなかったが、これ以上減りようがないので、大差ないであろう。そして「ただ、どんなに優秀でも14歳でギムナジウムを卒業するか、変声期を迎えると親元に戻され、一般の普通校に転校する。将来、音楽関係の仕事に就くのは2割程度という」と書かれている。どこで読んだのかは忘れたが、1960年代には2割ではなく8割が音楽関係に就いていた。この映画は、そんな有利な条件下でのウィーン少年合唱団が舞台だ。現在では、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブルックナーの4組(合わせて100人)に分かれているが、1960年も同じ4組。名前が同じだったかは分からない。映画のピーターとトニーは、このうちの1つの組に属しているが、組の名前も分からないし、そもそも4つの組があることも、観ていて分からない。また、管理機構も、組に各1名いるはずの音楽教師カペルマイスターが1人しか出て来ないので、合唱団の組織を誤解してしまう〔合唱団の説明映画ではないので必要ないのかもしれないが、登場する少年が1つの組に限定され、教師も1人なので、こんなに小所帯かと思ってしまう/少し前に紹介した『Blutsbrüder teilen alles(友はすべてを分かち合う)』に出て来た少年合唱団は、ちょうどこのくらいの規模だった〕。映画のメインストリームは2つ。前半は、労働者階級の息子トニーが、頑強に反対する父を押し切って入学し、ソリストに抜擢されるまでの物語。その中には、追い越されていくリーダーのピーターが抱く嫉妬や、それに起因する虐めもあるが、最後には2人は仲良しになり、ピーターはトニーの歌を訓練する。後半は、そのピーターの声が、声変わりによって出なくなる。すると、トニーが恩返し+友達の立場から、せっかく決まった海外旅行に一緒に行かせようと、ある意味では “失敗するに決まっている画策” をし、それが裏目に出てピーターは窮地に追い込まれる。この経緯は、コミカルな面と、ピーターの悲嘆とが巧く絡みあっている。そして、結果オーライのハッピーエンド。映画の中で、ウィーン少年合唱団のきれいな歌声がかなり長く聴けるところが、この映画のメリットであり、デメリットでもある。

アメリカへの長期演奏旅行を終え、ピーター達の組がウィーン駅のプラットホームに到着する。その列車の運転手だった父に呼ばれてホームまで来ていたトニーは、お揃いのセーラー服姿を見て憧れる。直接話せる機会などないので、ピーターに入団の仕方や、海外ツアーのことをしつこく訊く。ピーターが出迎えに来た両親に会うと、トニーは先頭の機関車にいる父に会いに行くが、父が特別サービスで申し出た “車庫までの運転” には興味を示さない。母は、トニーの声がきれいなことを知っているので、息子の希望を叶えてやろうと、父には内緒でウィーン少年合唱団の欠員募集のオーディションに連れて行く。そして、その翌週、仮合格〔1ヶ月の試行後、団員になれるかどうか正式に判断される〕の知らせが家に届く。それを見たトニーの父は勝手な行動に激怒する。それでも、母に説得され、不満ながら少年合唱団の本拠地アウガルテン宮殿に親子3人で行く。トニーは、最初のうち、学業は振るわず、音楽の授業でもミスをしてもすぐに手を上げようとしない。しかし、トニーの歌の才能を認めたカペルマイスター〔組の指揮者、音楽教師〕のマックス・ヘラーは、落ち込んでいるトニーを元気づけようと、組のソリストのピーターにアルトを歌わせ、トニーのソプラノとデュエットをさせる。結果は満足すべきものだったが、ピーターのプライドは傷つく。そこで、ピーターは、トニーが禁止されているのに持参したラジオを使って悪戯をしたり、子供病院での慈善活動の際、ピーターの定番の役をトニーが任せられると、出場できないよう閉じ込める。しかし、トニーは、危険を承知で窓から出て病室に辿り着き、無事に務めを果たし、ピーターのことは内緒にした。自分の行為を反省したピーターは、以後、トニーを自分の後継者と思い、トニーの歌の練習に力を入れる。日曜ピクニックにドナウ渓谷沿いの廃墟に出かけた時は、ピーターが内緒で作詞作曲した曲を、トニーが率先し、組全員で仲良く歌う。9月の新学期がきて、今期のツアー先も決まり、すべてが順調に見えた時、ピーターは声変わりで歌えなくなる。そして、翌日には、ピーターが主役を務めるオペラの正式なリハーサルも行われる。この危機に、トニーは、ピーターだけ除け者になるのは可哀想だと思い、他の少年達と話し合い 奇策を提案する。そして、翌日、オペラでピーターは、口ぱくで歌った振りをし、代わりの団員が近くで歌う。しかし、指揮をしていたマックス・ヘラーはすぐに声の違いに気付き、しかも、代理が転倒し、口ぱくをしても声が聞こえない異常事態に。恥ずかしくなったピーターは逃げ出し、リハーサルは中断される。トニーは、ピーターも後を追い、奇策を詫びるが、声を失ったショックの上に、大勢の前で恥をかかされたピーターの落ち込みは直らない。そこに入って来たマックス・ヘラーは、①ピーターは前日、声を失ったことを打ち明けようとしていた、②ピーターはツアー中、ヘラーと一緒に作曲をしたかった、などの話を聞き、理事会で、ツアーにピーターを副指揮者として同行させたいと主張する。理事会では、その革新的なアイディアが気に入られ、ピーターはツアー参加が許される。ツアー最後のシドニー公演で、『美しく青きドナウ』を見事に指揮するピーターの姿があった。

映画がスタートし、題名の後に、主役として、左にヴィンセント・ウィンター(Vincent Winter)、右にショーン・スカリー(Sean Scully)の名が示される。どちらが上位なのだろうか? 映画の内容上の主役は前半がトニー(ヴィンセント)、後半がピーター(ショーン)になっている。ショーン・スカリーは、1947年9月28日、オーストラリアに生まれた。3本の主演映画によって一世を風靡。『Hunted in Holland』(1961年)(右の写真)、『The Prince and the Pauper(放浪の王子)』(1962年)、本作の3本。中でも、マーク・トウェイン原作の『王子と乞食』を1人2役でこなした名演は光る(下の写真。こんなに古いのに本作よりカラー画面はきれいで、かつ、一画面に2人のショーンを自然に入れている)。本作でも、声を失った才能ある少年の複雑な心境を見事に演じている。現在でもTVを中心に俳優として活躍しているが、加齢に伴い頻度は落ちている。ヴィンセント・ウィンターは、映画の中では背がかなり低いので ピーターより年少という設定だが、実際には、1947年10月29日生まれと、ショーンと1ヶ月しか違わない。1998年に51歳で亡くなった。主要な映画は2本。幼児の時に脇役として出演した『The Kidnappers』(1953年)(右の写真)では、Academy Juvenile Awardを受賞している。この賞は、1934年のシャーリー・テンプルで創設され、1960年のヘイリー・ミルズで終了し、計12人が受賞した。この中に、『The Kidnappers』の2人の兄弟が含まれている。私もこの映画は観たが、演技に特別感銘は受けなかった。そのヴィンセントが幼児から少年になって初めて主演したのが本作。ショーンの役に比べて、役はかなり単調。美声も本人のものではないので、私はあまり評価していない。1年後に端役で出た後、俳優としての人生を終えた。

あらすじ

ウィーン少年合唱団の4ヶ月わたるアメリカ公演メンバーを乗せた列車が、ウィーン西駅のプラットホームに到着する。演奏旅行に行かなかった組の20名ほどがホームで歌って出迎える。もちろん、公演メンバーの父や母も、出迎えに来ている。真っ先に降りて来たのは、マックス・ヘラー。アイジンガーが、「やあ、マックス」と帰国を歓迎する。1960年代の合唱団の情報は少ないが、少なくとも この時点では既に現在と同じ4組構成になっていて、おのおのの組が年に3ヶ月以上演奏旅行に出かけていた。そして、それぞれの組にはカペルマイスター〔Kapellmeister〕がいて、それを統括するのが、芸術監督〔künstlerischer Leiter〕だった。例えば、1953-65年の間 カペルマイスターだったNachruf Froschauerは、この映画で使われる歌の録音にも携わり、団員の少年の一人一人を知っていたと言われる。また、1956-70年の間 芸術監督だったFerdinand Grossmannは、1961年にウィーンのモーツアルト協会からモーツアルト・メダルを授与され、死後、ウィーンの街路の一つに彼の名前が付けられた。恐らく、マックス・ヘラーがカペルマイスターで、英語で “Director(理事、校長、会長、監督など どんな意味にもなる)” と呼ばれるアイジンガーが芸術監督なのであろう。列車から降りてくる団員の中で、アイジンガーが特に声をかけたのは、ソプラノのソリストのピーター。彼をはじめとする団員が着ている青襟の黒セーラー服は、現在も同じだが、演奏旅行用のもの。映画の最後に使われる紺襟の白セーラー服は国内向け〔なぜ? 設定はシドニーでも、撮影がウィーンだったから?〕。ピーターが、自分の旅行鞄をカートから取ろうとしていると、団員ではない男の子が声をかけてくる。「僕も、アメリカに行けたらな。どうやって合唱団に入ったの?」。「オーディションを受ける」。「どんなオーディション?」。「アイジンガー芸術監督と、先生方の前で歌うんだ」。そう答えながら、ピーターは両親がいないかきょろきょろ見回す。「1曲、まるごと?」。「うん。両親を捜さないと」。それでも、少年はピーターを追っていく。「ねえ、僕も歌えるよ」(1枚目の写真)。「そうか?」。ピーターは、少し迷惑顔だ。「僕も、合唱団に入れるかな? また別の旅行に行くの?」。「たぶん」。「どこへ?」。「さあ、日本とか、オーストラリアかも」。ピーターは両親を見つけ、4ヶ月ぶりに抱擁する(2枚目の写真、矢印は離れて見ている少年)。ピーターが去っていくと、「おい、トニー」と声がかかる。それは、合唱団が乗ってきた電気機関車の運転席からだった。トニーは、運転席への梯子を上がって父に元に行く(3枚目の写真、左にいるのは母)。父は、息子が 直ぐに会いに来なかったことを皮肉る。「父ちゃん、オーストラリアに行ったことある?」。「あるはずないだろ」。そして、「よく聞け トニー。お前もびっくりだぞ。何だと思う? 車庫まで運転させてやる。すごいだろ」と大威張り。しかし、トニーの興味は別のところにあり、「母ちゃん、あの子たち、今度は日本やオーストラリアに行くんだ」と、羨ましそうに話す。「いつも、僕のこと、歌が上手だって言ってくれるよね?」。「そうよ」。
  
  
  

新規採用者のオーディションの日。募集は2名〔団員定数は100名〕。応募者は8名。全員が一列に座っている。そして、名前を呼ばれると、マックス・ヘラーが弾くピアノの前で歌い、それを、アイジンガーを中心に座った5人の審査員が聴いている。部屋の外では、応募者の父や母が心配そうに待っている。後から分かるが、審査員がOKを出した最初の少年は孤児のフリーデル。合唱団に相応しくないヨーデルを歌うが、高くきれいな声が気に入られる。そして、次がトニー。彼は、得意な曲の楽譜を持参し、ウェルナーの『野ばら』を歌う(1・2枚目の写真、矢印)〔もちろん、吹き替え〕。その澄んだソプラノに審査員は魅了される。それからしばらくして、トニーの家に合格通知が届く。父は、それを見て、「ウィーン少年合唱団? アウガルテン宮殿? これは何だ?」と言うと、中の手紙を読み始める。「トニー・フィアラ君のオーディションに関しまして…」。ここまで読んだところで、「オーディションだと? そんなこと、させたのか?」と、責めるように母に訊く。「そうよ」。「いつだ?!」。「先週よ。きれいな声だった」。「そうか? で、誰が手配したのか、訊いてもいいか?」。「私よ、もちろん」。父は、勝手な行動に怒って席を立つ。「俺に一言の相談もなく、勝手にやったのか? 裏でこそこそと!」。「仕方なかったの。許さないと分かってたから」。父は、「そうか? 訊くべきだったな」と言い、手紙をくしゃくしゃにする。「もし、訊いてたら?」。「ノーに決まっとる」。そのあと、父は、「そもそも、お前がピアノを弾くから悪いんだ。もっと前に、やめさせるべきだった」とまで言い出す。母は、トニーの歌の才能を評価し、父は、ちゃんとした学校〔労働者向けの〕に行き、役に立つことを覚えるべきだと反論する。母が何といっても、父は頑として受け付けない。ベッドで寝ていたトニーは、何とか父の心を変えようと急いで着替えて現れ、「父ちゃん、お願い」とすがるように頼む(3枚目の写真)。父の返事は、「仕事に遅れちまう」だった。トニーは、父を追っていくが、相手にしてもらえない。
  
  
  

頑固な父の考えをどうやって変えたかは分からないが、次のシーンでは、親子3人で、合唱団のあるアウガルテン宮殿に向かって歩いていく(1枚目の写真)〔17世紀末の城館。写真を見るとウィーンの郊外にあるように見えるが、実際には、ウィーンの中心にあるシュテファン大聖堂の北北東わずか1.6キロのところにある。写真の位置から城館の裏玄関までの距離は100メートル〕。中に入って行った一家は、偶然、アイジンガーと出会い、母の次にトニーが握手する(2枚目の写真)。父親と握手したアイジンガーは、「ここは、初めてでしょうね?」と訊く。「そうだよ」。その不愛想な言い方に、母は、「トニーがここに来られて、夫も喜んでますの」と取り成す。アイジンガーはマックス・ヘラーが担当だと紹介する〔ピーターと同じ組になった〕。父は、「こいつの 歌じゃない授業は、どんななんだね?」と、如何にも不審そうに訊く。「ご心配いりませんよ、フィアラさん。最高の先生が揃っています」。そのあともブツブツ言っている父親に、アイジンガーは、ここでの滞在はトニーにとって1ヶ月の試行期間だと告げる〔ダメなら入学させない〕。それを聞いた父は、「ダメならおっぽり出すのかね? なら、こっちも同じだ〔that goes for me, too〕。こいつの学業がダメなら、ここには置いとかないからな」。アイジンガーにとって、こんな失礼な親は初めてだろう。ちょうどそこにピーターが来たので、アイジンガーはすぐに呼ぶ。「ピーター、この子はトニー・フィアラだ。君の組に入る」。トニーが「どうも」と言うと、ピーターはアイジンガーの前なので、「会えて嬉しいよ」と礼儀正しく応対する(3枚目の写真)。「案内してやってくれるかね?」。「分かりました」。
  
  
  

トニーの試行期間が始まる。算数の授業はさんざん。マックス・ヘラーの歌の授業では、24名の生徒が左右に分かれて並び、『かっこう』を歌う。最初に、マックス・ヘラーから見て左手のフェルディが1つの音符を半音間違える。教師に間違いを指摘された左手のグループでは、すぐにフェルディが手を上げ、間違いを認める。次に、右手のグループでも第3小節に間違いがあったと指摘されると、今度は誰も手を上げない。ピーターは隣にいて間違い気付いていたので、「手を上げろ」とトニーに2回催促する。トニーはようやく手を上げる。教師は、「君だと分かっていた。どこが間違ってた?」と訊く。「ミじゃなくて、レの#で歌ったんじゃないかと」。「その通りだ。だが、今度からは、間違えと思ったら すぐ手を上げなさい。私から指摘される前に。間違いを自覚しなくていけない」。生徒達が芝生の上でボール蹴りをして遊んでいる中で、トニーは一人館内で算数の教科書を見ている。それを見つけたマックス・ヘラーは、「みんなを追い抜きたいのか?」と訊く。「違います。みんな僕より良くできます。学業がふるわなかったら、父ちゃんは 僕を…」。トニーは言葉に詰まるが、教師は父親の暴言を聞いていたので、事情を察し、自室に来させる。トニーは、頭のいいピーターのように何でもすぐにはできない、努力しても限界があると悩みを打ち明ける(1枚目の写真)。教師は、「ピーターはすごく幸運な子だ。頭が良くて、音楽のセンスも抜群だ」と言う。ピーターに憧れているトニーは、「ピーターは、いつか有名になると思います?」と訊く。「彼には天賦の才能があるからな」。「作曲もしてるんですよ。知ってました?」。教師は頷く。「それに、算数もよくできるし…」。マックス・ヘラーは、「元気を出せ、トニー」と言った後で、机の前の柱状の台に載っているトルソーを指して、「誰だか知ってるか?」と訊く。「シューベルトですよね?」。「彼も、この合唱団にいたんだぞ」。「そうなの? 合唱団は、そんな前からあったんですか?」。「もっと古い、500年近く前だ〔正確には、前身の設立は1498年6月30日〕。シューベルトは1808年に合唱団に入った」。そのあと、教師は、①シューベルトも算数は苦手で、歌うことと作曲にしか興味がなかった、②父親が成績を見て学校を止めさせようとしたが、校長が留まらせるよう説得したと話し、トニーを安心させる。そして、ピアノの前に呼び、シューベルトの『菩提樹』を弾く。ちょうどその時、ピーターが顔を見せる。マックス・ヘラーは、「やあ、ピーター、これは、君のお気に入りの一つだ。こっちに来て、トニーを助けてくれないか」と頼む。ピーターにとっては、試行生と一緒のデュエットだけでも屈辱的なので、次の言葉はショックだった。「ピーター、君はアルトをやってくれ」。ピーターは教師を不満そうに見て、「僕はいつもリード〔主旋律〕です」と言うが、「今の君には少し高すぎる〔音程が〕、今日はアルトを試してみよう」と言われてしまう(2枚目の写真)。2人のデュエットは素晴らしく、マックス・ヘラーは大満足。ピーターに対する詫びのつもりで、「有名な指揮者になった時には、シューベルトを忘れるなよ」と冗談を言う。2人が、教師の勧めで屋外に出た時、ピーターはトニーに何か言ったらしい。そこでのシーンは、トニーの、「でもなぜ僕を咎めるの? 歌うように言ったのは先生だよ」と訊くところから始まる。ピーターは、「あれは僕の曲だ。いつも歌ってる」と不満げだ。「でも、ヘラー先生はいいデュエットだったって」。「いいか、僕はこの組のリーダーだ。まだ1年くらいは。だから、新入りとなんかはデュエットしない」と宣言する(3枚目の写真)。憧れのピーターから、そんなことを言われたトニーは悲しくなる。
  
  
  

夜の大部屋で。トニーと一緒にオーディションを受けたフリーデルが、トニーが持参したトランジスターラジオを物珍しそうに見ている〔ドイツにおけるトランジスターラジオの普及は1960年代に入ってからなので、普及の初期にあたる〕。彼にとって、ラジオとは真空管式の大きなものだった。フリーデルがスイッチを入れようとすると、トニーは即座に止める。その時、ピーターが寄ってきて、「ラジオか? 持ってきちゃいけないんだぞ」と言って、取り上げる〔トニーは、点けないと言うが、それならなぜ持ってきたのだろう? これは、次のシーンに創り出すための アコギな演出だ〕。ピーターと並んで年長のフェルディが、「おい、ピーター、音楽を聞こうぜ」と催促すると、最初、真面目なピーターは、「規則違反だ」と断る。「誰もいないぞ」。トニーも、「点けないで。僕たち困ったことになる」と言う。それを聞いたピーターは、急にニヤリとし、「困るのは、君だ。君のラジオだからな」と言い(1・2枚目の写真)、スイッチを入れる。さっきデュエットをさせられた仕返しだ。ピーターはラジオの軽快な音楽に合わせて体を揺する。「返してよ!」。「やってみろよ」。トニーはベッドに飛ばされる。トニーがピーターに枕をぶつけると、古いアメリカ映画にお馴染みの枕投げ戦争が始まる(3枚目の写真)。マックス・ヘラーはそれに気付くが、子供にありがちなことなので〔ウィーーでも?〕、止めずに外で収まるのを待つ。しかし、終わりそうにないので、ドアノブをガタガタさせて予告してから、中に入る。床には羽根が散乱しているが、子供たちはベッドに滑り込んでいる。一人トニーだけが それに気付かず、フリーデルに注意されて振り向き、ラジオを消そうと躍起になる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

朝、トニーが下に降りて行くと、ピーターから、「芸術監督の部屋に呼ばれてるぞ」と告げられる。「なんで?」。「分からないのか? ほら、急げ」。「僕一人じゃない」。ピーターは、「見られたのは、君だけだ」と言うが、顔は暗い〔自分が最初に始めたことがバレるのが怖い〕。トニーは、恐る恐るアイジンガーの部屋に入る(1枚目の写真)。アイジンガーは、「トニー、君の試行期間が終わった。君の成績表を見た。良いとは言えない」。トニーは最悪の結果を覚悟する。「しかし、先生方は、君がこれからも努力していくだろうと言われた。だから、君をウィーン少年合唱団に受け入れることにした」。「ここにいられるんですか?」(2枚目の写真)。「是非いてもらいたい」。トニーは全速で芝生まで走って行くと、そこに座っていたピーターに、「ピーター、僕、ここにいられるんだ。アイジンガー先生がそう言った」と満面の笑顔で報告する。「昨夜のことは?」。「訊かれなかった。ヘラー先生もいたけど、何も言わなかった」。ピーターは、「君だからだ」と言って立ち上がる〔えこひいきだと思っている〕。トニーは、後を追って、話を続ける。「僕も、これで合唱団の一員だね。2週間後に小児病院でコンサートがあるけど、僕、そこでソロで歌えってヘラー先生に言われたよ」(3枚目の写真)。ピーターにとって、トニーは “生意気な新入り” から “自分を脅かす存在” になる。
  
  
  

控室でトニーが19世紀の郵便屋の服を着ている。手伝っているピーターに、「僕、今まで人前で一度も歌ったことがない。まして、ソロなんて」と言った後で、真っ赤な上着を着せられて、「ちょっと大き過ぎるみたい」と言う。「そりゃそうさ、僕のだから。いつも僕が歌ってたんだ」。「ごめんね、ピーター。ヘラー先生の考えなんだ」(1枚目の写真)。ピーターは、「歌えなくなるかもな」と言うと、そっと部屋を出て、外から鍵を掛けてしまう。トニーは、ドアノブをガタガタさせて、「ピーター、出してよ」と言うが返事はない。マックス・ヘラーに言われて2人の様子を見に来たフェルディが、「トニーはどこだ?」と訊くと、ピーターは「閉じ込めてやった」と答える。「何だって!?」。「狼狽させただけさ。心配するな、間に合うように出してやる」。ところが、トニーは、開けてもらえそうにないと判断すると、危険は覚悟の上で窓から出る。一方、子供達の病室では、もう合唱団の第一陣が中に入って行く。フェルディは、「おい、ピーター、もう出してやれよ。初めてのソロだぞ」と促す(2枚目の写真)。「分かった」。ピーターが鍵を開けて中に入ると、トニーがいない。開いている窓から見ると(3枚目の写真)、トニーは、石材の張り出した狭い水平部分〔正しい名称不明〕の上にかろうじて足を乗せ(4枚目の写真)、そろそろと壁づたいに歩き始めたところだった。フェルディは声をかえようとするが、気を逸らせると足を踏み外す恐れがあるので、ピーターが口を押さえる。
  
  
  
  

外壁の迂回に時間がかかったので、トニーがなかなか現れず、マックス・ヘラーは合唱を2度歌わせる〔ヘラーにも責任がある。ピーターにソロを歌わせないのなら、その理由を、予め自ら本人に話すべきだった〕。2度目が終わり、ヘラーが困惑した時、トニーの歌声が、入ってくるはずのドアの反対側の窓から聞こえる(1枚目の写真)。トニーは、ハプニングにもかかわらず、何事もなかったように堂々と歌う(2枚目の写真、年齢の割に “おじさん顔”)。歌が半分終わったところで、病室の子供達に配るプレゼントの袋を持ったピーターとフェルディが現れる。アウガルテン宮殿に戻ったところで、ピーターはマックス・ヘラーに呼び止められる。「幼いトニーの離れ業は劇的だったが、少し危険だった。君は、知ってたか?」と訊く。「はい」。「彼は、君の指示ではないと誓い、すべて自分の考えでやったと言った。だが、落ちたかもしれない」。「済みません。僕の責任です」。「そうかもな。私は、君達が天使のように歌っているからといって、天使のように振る舞うとは思っていない。だが、君は最年長なんだ」。ここまでが小言。「ところで、彼のソロは良かったな」。「はい、そうです」。「気に入ったなら、助けてやって欲しい」。ピーターがOKすると、「結構」と言うが、ピーターは後悔にさいなまれる(3枚目の写真)〔以後、2人は無二の親友になる〕
  
  
  

その後しばらくして、トニーは、「日曜のミサで歌うことになりそう」と ピーターに悩みを打ち明ける。「だけど、すごく難しいんだ。うまく歌えないよ」(1枚目の写真)。ピーターは、トニーから楽譜を取るとピアノに座り、「来いよ」と呼ぶ。ピーターは、「あれって、全部君の考えだったのか?」と尋ねる。「何が?」。「窓から出てったやつ」。「そうだよ、もちろん」。それを聞き、“恨み” が一切ないことを確認したピーターは、にっこりすると、「じゃあ、歌おうか」と言う(2枚目の写真)。そして、出だしを歌わせ、あまりにテンポがゆっくり、かつ、単調なので、そのことを指摘し、 テンポよく抑制のきいた形で歌ってみせる〔ピーターがソプラノのソリストだったとは信じ難いほど音程が低い〕。トニーは、その教え通りに、きれいなソプラノで歌う(3枚目の写真)。
  
  
  

そして、日曜のミサ。信徒席の最前列にトニーの両親が座っている。最初の頃、演奏中にもかかわらず父は文句ばかり言い、後ろから静かにするよう注意される始末。そして、遂にトニーのソロが始まる(1枚目の写真)。ピーターも満足そうに聴いている(2枚目の写真)。父は、それを聴くと何も言えなくなる。言葉に出たのは「もう1回歌うのか?」だけ。母は「そう思うわ、しーっ」と静かにさせる。そして、2回目のソロ(3枚目の写真)。意固地だった父は、感動して母の手を握りしめる。
  
  
  

マックス・ヘラーがカペルマイスターになっている組の団員達は、アウガルテン宮殿の西北西66キロにあるドナウ川沿いのデュルンシュタイン城跡(Burgruine Dürnstein)にレクリエーションに来ている情報が全くないので、場所を特定するのに30分を要した〕。この城跡は、オーバーロイベン(Oberloiben)という町の高台に聳えている1145年に造られた城で、スウェーデン人によって1645年に爆破された。映画の中で、城跡から見下ろした川沿いに建つ教会は、1745年に再建されたデュルンシュタイン協同教会。子供達は、開放的な場所で好きなように遊んでいる。さっきからピーターの姿が見えないので、マックス・ヘラーは、トニーに、「ピーターはどこだ? 見てないか?」と訊く。「いいえ」(1枚目の写真、左から2人目の紺色の服がヘラー、右端がトニー)。「まだ ランチも食べてない。捜してきてくれないか?」。「いいですよ」(2枚目の写真、背後に城跡の全景が見える)。トニーには、フリーデルとフェルディが付いて行く。一方、ピーターは、ドナウ川を見晴らす城の上部で、譜面を手にしてヴォカリーズ〔歌詞なしで歌う技法〕で歌っている(3枚目の写真)。
  
  
  

ピーターの歌に気付いた3人は、こっそり後ろの壁のところで止まって聴いている。そのうち、後から来た団員達がどんどん増え、組の半数ほどになる。ピーターは、指揮をしているつもりで両手を動かしている。そして、曲が終わると、前方の空間に向かって挨拶をする。それを見ていた団員達は一斉に拍手し(1枚目の写真)、ピーターは初めて後ろにみんながいたことを知る。「ヘラー先生みたいだ」「最高のオーケストラだ」「特に弦がいいね」。ピーターは、恥ずかしくなって逃げ出す。しかし、すぐに追いかけたフェルディが楽譜を奪う。そして、ピーターが作曲したものだと気付く。一緒に楽譜を見たトニーは、「ねえ、みんな、これ歌おうよ」と呼びかける(2枚目の写真)。最初ピーターは嫌がるが、結局、「もし笑ったら、集団殺人だぞ」という冗談めいた条件付きで、指揮することに。先ほどピーターはヴォカリーズで歌っていたが、楽譜にはちゃんと歌詞も書かれていたので、全員が譜面を見て、歌い始める(3枚目の写真)。歌を聞きつけた残りの団員も加わり、歌はますます盛大に。マックス・ヘラーも横で聴いている。
  
  
  

夏が終わり、新年度が始まる。映画の最初の頃にあったマックス・ヘラーの授業では、『グリーンスリーブス』が歌われている。そこに、トニーが立ち上がり、ソロで歌い始める(1枚目の写真)。次にピーターが立ち上がり、デュエットとなる(2枚目の写真)。演奏が終わると、ヘラーは、「とても良かった」と満足そうに言う。フェルディは、「でも、今年はどこにツアーに行くか話してくれてませんよ」と発言する。他の生徒からも希望が寄せられたので、ヘラーは「我々は、インド、日本、オーストラリアに行く」と答え、大歓声が起こる。ヘラーが次に取り出したのは、ヨハン・シュトラウスのオペラの配役表。ピーターはパン屋のキプフェル、フリーデルはパン屋の娘のミッツィ、その男友達がトニー。重要な役を割り振らふられた2人は喜ぶ(3枚目の写真)。
  
  
  

そして、重要なターニングポイント。パン屋の格好をしたピーターが楽屋裏で練習に歌い始めると、高音が出ない。ピーターは愕然とする(1枚目の写真)。近くにいたフェルディは、すぐに異変に気付く(2枚目の写真)。そして、すぐに寄って行くと、「本当にダメになったのか? 多分、最高音だけだよ」と慰めるが、ピーターの表情は暗い(3枚目の写真)。これまでも先輩たちを見てきたので、声変わりの時期が来てしまったと覚悟する。そうなれば退団だ。「どうする?」。ピーターは、「役は知ってるだろ」と言い、パン屋の衣装を渡して姿を消す。
  
  
  

フェルディは、トニーを呼びつける。そして、陰に連れて行くと、「ピーターの声がダメになった」と打ち明ける。「ダメに?」。「潰れたんだ。もう歌えない」。「ぜんぜん?」。「そうだ。ついさっき」。「でも、もしそうなら…」。「僕に、代わりをやれって」。「ピーターはどこ?」。「飛び出してった。どうしよう?」。「何も。誰にも言わないで」(1枚目の写真)。トニーは、そのままピーターを捜しに行く。トニーが、体育室の近くまで来ると、中から調子の外れた声が聞こえてくる。トニーがドアを開けて中に入ると、ピーターは登り棒の前で発声練習をしていた(2枚目の写真)。トニーが、「ピーター」と声をかけると、振り向いたピーターは、こっちへ来いと合図し、「僕の方が先に上まで着くぞ」と言う。「できないよ」。2人は早登りの競争を始める。ピーターはすぐに上まで登り、途中で限界をなったトニーに「どうした?」と訊く。「ホウレンソウを食べなかったのか?」。「I'm sorry」〔第一選択肢は「ごめんなさい」。2番目が「残念だったね」「お気の毒に」。ピーターは、トニーが声のことを知っているとは知らないので、この言葉の発せられた意図が分からない。そこで…〕。「何が?」。「フェルディから聞いたよ」。「誰にでも起きることさ。遅かれ早かれ」(3枚目の写真)。「ほんとにダメになったの?」。「僕はもう合唱団員じゃないし、それがすべてって訳じゃない。指揮の勉強がもっとしたい。音楽学校に行くよ」。「でも、ツアーはどうするの? 行けなくなるんだよ」。ピーターは悲しそうに棒を降りる。トニー:「たぶん風邪だよ。明日には戻ってくるよ」。ピーターは、黙って首を横に振る。去って行くピーターに、トニーは、「どこに行くの? ヘラー先生には会えないよ、今、ダウンタウンに行ってるから」と呼び止める。「じゃあ、戻ったら会うよ」。「先生には言わないで。お願いだから」。「どうして? もう歌えないんだぞ」(4枚目の写真)。「分かってる。でも、何か他に道があるかも。とにかく、言わないで。お願い」。
  
  
  
  

それでも、ピーターは「話すべきだ」と言う。「何か考えるよ」。「リハーサルは明日なんだぞ。大人になれよ」(1枚目の写真)。ピーターは、そう言うと部屋を出て行ってしまう。しかし、トニーには、ピーターの寂しそうな顔が忘れられない。そこで、屋根裏に全員を集めて緊急集会を開く。トニーは、「ツアーに出発するまで ピーターが黙ってりゃいい」と主張するが、フリーデルは、「先生に話すさ」と言う。トニー:「だから、急がないと」(2枚目の写真)。さらに、「やる価値はあるだろ? 一緒にツアーに行くんだ」と言い、みんなが頷く。ただ、フェルディは、「見つかり次第、送り返されるぞ」と反対する。「インドから?」。「じゃあ、どうなる? 歌えないんだ」。トニー:「ヘラー先生を手伝えばいい」。今度は、フリーデルが、「明日のリハーサルはどうするんだい? ソロで歌うから、バレちゃうよ」と指摘する。トニー:「フェルディが代わりに歌えばいい。ちゃんと考えたんだ。できるさ」。一方、ピーターは、舞台の脇で照明装置を設置しているマックス・ヘラーを見つけると、「お話したいことが」と声をかける。作業が終わるまで待たせ、梯子を下りたヘラーに、ピーターは、再び、「ちょっとよろしいですか?」と目と目が合う距離まで寄って行く(3枚目の写真)。その時、アイジンガーが入って来て、「マックス」と声をかける。そして、部屋でツアー日程の相談がある言って、連れて行ってしまう。その前に、アイジンガーはピーターの作った歌を褒め、ツアーの際のアンコールで使うようヘラーに提案する。「それはいいですね。ピーターはどう思う?」。「素晴らしいです」。笑顔を見せたピーターだったが、2人がいなくなると、すぐにうつむく。ツアーに行けなければ、アンコールもないからだ。そこに、トニー、フリーデル、フェルディの3人が飛び込んでくる。トニーは、ピーターを呼んで「話があるんだ」と切り出す。「どんな?」。「屋根裏に行こう」(4枚目の写真)。
  
  
  
  

場面は、翌日のリハーサルに変わる。当日、軍服を着たフェルディが、ピーターの近くで歌い、ピーターは口パクで歌っている振りをする(1枚目の写真、矢印はフェルディ)。しかし、主役のピーターの出番は多く、それを舞台のあちこちに移りながらフォローしていくのは大変なことだ。それに、声もピーターとは違うので、指揮をとっているマックス・ヘラーは、最初から変な顔をしている。そして、遂に事故が起きる。その他大勢のグループが一斉に舞台の袖に入っていった時、フェルディは押されて台から落ちてしまう。そして、舞台でピーターが1人だけになった時、ピーターが口を開けても、歌声が聞こえない(2枚目の写真)。一瞬遅れて、フラフラになったフェルディが歌い始めるが、誰が見ても尋常ではない。ヘラーは、“一体どうなっている” とばかりに、アイジンガーと見交わす(3枚目の写真、アイジンガーは左の最前列)。このまま続けることは良心が許さないと思ったピーターは、遂に歌うのを止め(4枚目の写真)、そのまま立ち去る。それでも、フェルディの歌はしばらくそのまま続く。異常事態に観客席(団員の両親達もいる)は総立ちとなる。トニーは、ピーターを捜しに行く。
  
  
  
  

ピーターは、衣裳部屋にいた。トニーは、近づいていくと、「ごめんね、ピーター」と謝る。「あっちに行けよ」。「助けようとしたんだ」。「みんなの前で、バカをさらしたんだぞ」(1枚目の写真)。「でも、あのまま続けてれば…」。「どうやって? ヘラーは気付いてたんだ!」。「僕が責任を取るよ」。「いいから、出てってくれないか?」。どうやって行先を突きとめたのかは不明だが、そこにマックス・ヘラーが入ってくる。そして、悲しげに自分の方に歩いてくるトニーに、「やあ、トニー」と声をかける。トニーは、「僕の考えです。ピーターが悪いんじゃありません。僕が、みんなに提案したんです。こうすれば、一緒にツアーに行けるって」。「分かってる」(2枚目の写真)。そう言った後、トニーを部屋から出て行かせたヘラーは、ピーターのところまで行くと、「なぜ、声のことを話さなかった?」と尋ねる。ピーターは、「先生が照明装置を固定されている時、話そうとしました。その時、アイジンガー先生が入ってきて、僕の歌のことを言われました」と説明する(3枚目の写真)。「確かに、辛かったろうな」。
  
  
  

「声の問題じゃないんです。それなら誰にでも起きます。問題は、置いてきぼりにされることなんです、ちょうど…」。「ちょうど、何なんだ?」。「ツアー中に始めようと思ってたんです。ちゃんとした作曲を」。「ここでも出来るだろ?」。「分かってますが…」。「何だね?」。「先生に助けて欲しかったんです。お分かりでしょ、言おうとしてること」(1枚目の写真)。「私が、戻ってからなら… なあ、物事はもっと素直に見なくちゃ。これは、終わりじゃない、始まりなんだ」(2枚目の写真)「子供でいることは楽しい。だが、今までやってきたのは、ただの下稽古〔人生の〕だったんだ。言いたいことは分かるよな?」。こう、曖昧に言って別れたマックス・ヘラーだったが、その後の、他の組のカペルマイスターや理事をまじえた会議では、積極的にピーターを援護する。会議では、まず、アイジンガーが、「今回、残念なことが起きてしまったが、ピーターには相応の補償的措置を考えている。彼は、引き続きここに所属し、音楽学校で勉強してもらう。彼には才能があり、それには疑う余地はない」と切り出す。この原案の提案者であろうマックス・ヘラーは、「これは、身びいきではなく、逸材を見つけた時、それを伸ばすための必要な措置に過ぎません」と強調する。アイジンガー:「もちろんだとも」。ヘラー:「彼はまだ子供です。まだ、自信も付いていませんし、大きくなることに不安を抱いています。だから、もう少しの間、他の子供達と一緒にいさせた方がいいでしょう。4年間も一緒だったのですから。そこで、今回のツアーにも同行させるべきだと思います」(3枚目の写真)。この発言に対しては、初耳だったアイジンガーも反対する。しかし、「ヘラーは、「お客として連れて行くのではありません。私の助手としてです。副指揮者にしましょう」と、斬新な提案をする。これに対し、一人の理事は、「確かに、革新的なアイディアだな」と感心する。「彼なら出来ます。あの年齢で、非凡な知識と理解力の持ち主ですから」。「合唱団を、団員の一人に指揮させる? 多大な感銘を与えるに違いない」。こうして、理事会で、ピーターのツアー参加が了承される。
  
  
  

合唱団の行った先のポスターが画面に表示される。順に、ベルギー、チェコスロバキア、西ドイツ、インド、スウェーデン、日本〔順番は、地理的に見てみちゃめちゃ。日本のポスターは最悪〕、そして、最後にオーストラリア。演奏会場はシドニーのGrand Concert Hall〔現在のオペラハウスは1973年の竣工なので 当時は別物/映画で使われたのは、ウィーン楽友協会の1870年に造られた大ホール〕。プログラムには、客演指揮者として、ピーター・シェーファーの名前が印刷されている(1枚目の写真、赤丸)。演目はヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』。大観衆を前にピーターが指揮をして(2・3枚目の写真)。演奏を終えた後は、合奏団の一員であることを示す意味でトニーとフリーデルの間に入り(4枚目の写真)、最後に全員で頭を下げ、スタンディングオベーションを受けたところで映画は終わる。
  
  
  
  

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